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Who is Dr.Lake?

あぽろん㈱が絶大なる信頼を寄せるエフェクト・アンプ博士”Dr.Lake”はどのようにして産まれたのか?
今や全国にファンも多なりく、そのコピー商品まで出現している彼の歩んできた物語の一部をご紹介。

▼Dr.LakeができるまでのSTORY:

新潟県のとある町で生を受けたDr.Lakeは自然豊かな土地で緑に囲まれながらすくすくと育った。

~ だいぶ省略(笑) ~

●リスナーとしての音楽との出会い。。。。

「まず洋楽に目覚めたのが中一頃だったでしょうか当時流行っていたグループサウンズがやった「サイモンセッズ」と言う
曲を聴き「いい曲だなぁ」と思い、しばらくしてそれが「1910フルーツガムカンパニー」と言うバンドの曲と知りしばらくはそのバンドの曲を聴いていましたね。」

●ギターとの出会い。。。

「 確か中学2年の頃です。私が最初にを弾き始めたきっかけは、ただ単におじさんのギターを何週間か借りた事がきっかけでした。弾き方も何もたいして解らなかったので教えてもらった「ドレミファ」で当時有った明星とか平凡(今でも有るんですかねぇ?)などと言う雑誌に付いてきていた歌本を見ながら弾いたのがきっかけと言えばきっかけでした。

その後中三の時に同じクラスにいた男がコードをかき鳴らしているのを見てこんな弾き方も有るのだと思い少しずつですがのめり込んで行きました。 そしてそして衝撃的な「アビーロード」との出会いが有り高校へとなだれ込んで行きました。

その後時はフォークブームになり、それなりに聞きましたが映画ウッドストックとの出会い、「CSN&Y」とか「ジェームス・テイラー」と出会い、暗い感じの日本のフォークを尻目にしながら(失礼!笑)それらの未だ見ぬ雄大なアメリカ大陸を夢想させられる洋楽に魅了されると同時に、徐々にギターの弾き方を覚えて行きました。」

●エレキギターとの出会い。。。

「エレキギターというものを自分で持ったのは結構遅く20歳の頃だと思います。ビートルズ好きの知り合いが「バンドをやろう」と言う事で始めたのがきっかけです。長い事は続きませんでしたがバンドの楽しさをそれで覚えましたね。

そしてある程度弾ける様になると今度は「音」にこだわりが出てきて楽器による音の違いとかに興味が出てギターを選ぶ様になって行きました。」

●そして渡米

電機系の学校を卒業後某音響機器メーカーに就職。

~すこし省略~アメリカ行き。時は76年、Rock、Pop、Jazzなどあらゆる音楽が急速に動いていた最も重要な時期

「渡米で人生が変わりましたね。(笑)取引のあったアメリカの会社でトラブルがあり、現地でのメンテナンス・サポート係として”若い”という理由で急遽派遣に抜擢されましたんです。21歳でした。

もちろん英語など話せるわけも無く言われるまま飛行機に飛び乗りLAに到着。幸いお迎えは現地の会社の方が来てくださったんですが、そのままモーテルへ放り込まれました。右も左もわからない、言葉も通じない若者にとってアメリカのモーテルほど怖いものはありません!ぺなぺななドア、薄い壁から漏れ聴こえる英語にドキドキ・・・映画でしか聞いたことの無いあのパトカーのサイレンなどなど全てが恐怖につながり丸一日ただただうずくまって居たように思います。
翌日、あまりの空腹感に耐えられなくなり思い切って外に出てみると広い道路の向かい側にハンバーガーショップがありとっさに駆け込みました。空腹感が恐怖感に勝り注文カウンターたどり着いたは良いが、とにかく店員さんの言ってる事がまるっきりわからない!?(汗)焦りながらもメニューの中に”なんとかHOT DOG”と読めるものを発見し、ようやくホットドッグと言えた!・・・と思ったら店員が「!”#$E%R&T'()=)=☆’&%$#”」と弾丸のようにまくしたてる・・・涙
ただ呆然としているアジア人を見かねてか、レジから出てきて説明してくれるその人。あとで分かりましたが、マスタードやケチャップ、ピクルスなどをどうするかという事でした。(だいたい、田舎から出てきた若者にはマスタードなんてもの自体お目にかかったことが無いですよ~~、ケチャップはなんとか分かりましたが。)
翌日も唯一覚えた英語”HOTDOG+Ketchup”だけが食事となり、丸々二日ホットドッグのみ。。。なんとも先が思いやられるアメリカ生活のスタートでした。

そんなこんなで何とかアメリカ生活に少しずつ慣れて半年、その頃はLA~Bostonに移っており、せっかくアメリカ生活がちょっと面白くなって来たところに会社より「任務終了」ということで帰国。。。

~すこし省略~

●再渡米~滞在

その後は又日本で業務をこなしていたある日、社内で再度「アメリカで~~」という噂を聞きつけ、今度は自ら手を挙げ再渡米しました。当該業務は終了し帰国するタイミングになったが、その頃には友人も出来てすっかりアメリカ生活を気に入っていたため社長に直談判の手紙を書き、承認を得、晴れて正式に”アメリカ現地会社駐在”要員となり、LA/Torrence を拠点にし主にComptonやVan Nuysに有るステレオメーカーでのサポート業務などをやりました。

●アメリカで初エフェクター修理~本場の洗礼

アメリカ滞在中に初めて仲良くなったアフロアメリカンの一人が「お前エレクトリックディバイス直せるならコレ直せるか?」と、日本では見たことの無かったなにやら弁当箱みたいなエフェクターを持ってく来ました。(あとで分かったがMXRのオリジナルコーラスでした)それまでエフェクターの存在は知ってはいたものの、実際に中身まで見たのは初めてだったんですが、テスターで故障箇所を突き止め、必要なパーツは電気会社であったため使える物を倉庫から調達して修理しました。そんな事がきっかけになり、彼がミュージシャンであったためその友人達からも続々と壊れた機材が持ち込まれることになり、数多くのエフェクターやアンプなどの機材修理を経験して行きました。

ある日彼のバンドのライブに誘われ見に行き、アマチュアながらその上手さに日本と欧米のレベルの違いを思い知らされました。そこで初めて見る小さいけどめちゃくちゃ音の良いアンプの音を体験。それがMesaBoogieでした。
その後彼に「いいミュージシャンが居るから一緒に行こう」とあるクラブに連れて行かれた先で演奏していたのが当事のロベン・フォードやラリー・カールトンです!その中でも最も衝撃を受けたのがラリーです!(当事は未だフサフサ・・)

スモールクラブでの演奏中、3弦が切れたラリーは演奏中に一旦楽屋の方に戻り、弦を換えてから出てくるのかなと思ったら弦はそのままで彼の右手にはなぜかペンチが握られているじゃないですか!?何をするんだろうと皆が見つめる中、な・な・なんとおもむろに1・2弦をバツバツと切っていくではないですか!?!?!?
あっけに取られた観客を尻目に残りの4~6弦のみでその後の演奏を続けたんですよ~!そりゃあもう全員総立ち大盛り上がりでした!

その後もLos Angeles DowntownにあったBakedPotateをはじめ、Redondo Beach、Santa Monica、Pasadena等々にある多くのクラブに通い本場の音楽を肌で感じる事が出来ました。何より圧倒的は上手さとサウンドの良さに感動しまくりましたね。

それから当事結構通った楽器店が、かのバリーアーツギターでした。その頃は未だValleyArtsというブランドギターが市場に出回る前だったと思いますが、当時から店構えは結構大きかったですね。ですが当時のハリウッド・ギターセンターとは可成り雰囲気が違っていまして場所的に観光客はほとんどいませんでしたからホント好きな連中が集まっている感じでした。

あの頃クラブやバリーアーツショップで体験し修理もした”本物”のエフェクターやアンプ、ギターサウンド体験、情報や知識が今の糧になっていますね。なんたって、一番音楽の発展、機材の発展した時であり、特にアナログ系エフェクターやアンプに関しては現在でも永久定番のものであったり、現存する物のお手本になったオリジナルな楽器群が出てきた良い時代でしたからね~。今思えばホントに音楽界、ギターサウンドの創世記と言える貴重な時にその現場に居れてラッキーでしたねぇ。

●帰国~日本のサラリーマン社会の洗礼

3年半程経って”任務終了”、日本の会社の業容も変化するということで帰国命令が出ました。現地で仕事~プライベートで充実した生活を経験し、すっかりアメリカという文化にどっぷりはまり込んでいた自分としてはずっとあちらで生活したかったのですが止むを得ず戻ってきたわけです。

もともと性に合っていた上、20代前半~の最も多感な時期に暮らした計4年でアメリカ流の感覚が染み込んだ自分にとっては帰ってきてからの日本の会社、サラリーマン体質には中々慣れませんでした。もちろん若気の至りで社会性も乏しかったと言う事もあり、なんと言ってもフリーダムの無い社会には辟易とし、実際、なんとか”社会性のある大人の日本人”としてのサラリーマン生活に疑問を持たなくなって慣れたと言えるまでに丸丸9年は掛かったと思いますが、それはもう大変でしたよ。。

●地元でのバンド活動~あぽろんとの出会い

その後は結婚し子供も出来、音楽、楽器的なことで言えばせいぜい地元の仲間達とバンドを始めたくらいでしょうか。アメリカ時代に買った80年代のGibson LP-Herritageをメインギターにフュージョンなどをやっていました。
休日はやる事もないのでとにかく楽器屋に行くのが楽しみで、土日はほぼ顔を出していましたのであぽろん新潟店の皆さんとは結構顔見知りになりました。
ある日そこで音楽や楽器の話をしていて、私の経歴や技術話に興味を持った当時の部長さん?が「お客さんからアンプの改造の話があるんだけど、一度やってみませんか?」という話になり、久々にあの頃を思い出し嬉々として引き受けました。
今でも忘れません、Dr.Lakeとしての仕事第一号はStarfieldという50Wのコンパクトなチューブアンプで、芯のあるクリーンもザクッとした歪みも結構良い音がしたアンプでした。当時星野楽器が限定で販売していたものだそうですがイギリス製の物でした。それにセンドリターンを付ける改造で、その出来具合には部長さんもお客さんにも喜んでいただき、それからあぽろんとのお付き合いが始まったわけです。
それから既に10数年、数多くのアンプ・エフェクターを修理、改造させてもらう中であらゆる製品をチェックし、その度に全ての回路などを見れたことによってかなりの知識やノウハウを得れたと思います。もちろん、アメリカ時代の本物のミュージシャンのサウンドの体験やバリーアーツなど本場アメリカの楽器店で見聞きした事、友人のバンドとの交流などなどがとても役に立っています。

ラッキーな事にその部長さん(今は専務さん)とは音楽や楽器に対する考え方で共有できる所が多く、特にまずは”本場の本物の音楽のサウンド!”という部分に対するコダワリが共通だったためいろいろな話が出来ました。
お付き合いして10年位経った時、話の流れで「今度はオリジナルの何かを作ってみませんか?」という話になり二人で相談しあって初めて造ったのがクローンエフェクトシリーズです。
幸い自分の仕事関係やアメリカのルートなどが合ったため、楽器業界では貴重とされるパーツの供給先もあり中々良い物が出来たと思いますし、そこからアイデアとマーケティングなどをあぽろんで、技術をDr.Lakeでという形が出来てきて今日に至るというわけです。

今ではお蔭様でオリジナル品もapollonmusic.comを通して全国に流通し多くの方々から評価していただきたい変嬉しく思います。更に現在はよりDr.Lake製品を製作する環境も整い、これからはより息の長い定番として末永く使って頂ける製品を創っていけるよう努力したいと考えています。